ビジネスの世界に生きる人間に、なぜ「中国古典」が参考になるのか。
それは、「中国古典は人間学の宝庫」といえるからだ。
20世紀最高の経営者とも称されたGE社のジャック・ウェルチは、
「経営でいちばん難しいのはピープルマネジメント」
だと語っていた。
スポーツ選手のマネジメントで名を馳せたIMG創業者のマーク・マコーマックは、「ビジネスの問題は、つまるところ人間の問題。鋭い人間的感覚をもち、それをビジネスにどう活かすかを知っている人が必ず優位に立つ」と指摘している。
戦略を考えるのも人間であれば、それを実行するのも人間。組織を構成するのも人間なら、企業が提供するサービスなり商品に対価を支払ってくれるのも人間だ。
だからこそ、経営学は「人間学」ともいわれる。
しかし、「人間学」という学問はない。
では、「人間学」はどのようにして学べばいいのか。
筆者が共感を覚えるのは、ジャーナリストの先達・徳富蘇峰の「もし世に人間学があらば、歴史がそれである」との指摘だ。とりわけ、中国の歴史、中国古典は「人間学」の宝庫といってもいいだろう。
筆者は、40年近く経営の世界をフィールドワークにしてきたが、優良な経営者は、例外なく人望があり、人間洞察力にすぐれ、組織統治能力に長けている。
では、どうすれば人望を得られるのか、人間洞察力はどうすれば身につくのか、組織はどのように統治すればいいのか、競争に勝つためにはどうすればいいのか――。
その答えは、すべて中国古典のなかに見出すことができる。
中国古典から学べるのは「人間学」だけではない。
中国古典が、例外なくといっていいほどにとりあげているのが「終わりを全うする」ことの難しさだ。
これは、筆者がつねづね痛感していることでもある。
どうすれば「終わりを全うする」ことができるのか、その答えも中国古典にある。
日本の歴史をみても、優良なリーダーは中国古典から学んだといえる。
遣隋使を派遣した聖徳太子の「和をもって貴しとなす」にしても、同じことばが『論語』にある。NHKの大河ドラマ『青天を衝け』の主人公・渋沢栄一の人間力の原点にあるのも中国古典だ。
江戸時代後期に、衰退した地域を復興させた二宮尊徳の手法は、
「収入(分)に応じて、一定の支出限度(度)を決め、その範囲内で生計を営み、そこから余剰金を生みだす」
というものだが、これも中国の古典『礼記』の「入るを量りて、もって出ずるを制す」をベースとして考えだされたものだ。二宮は、人材活用にもすぐれた人だったが、ここでもつかわれた手法は『論語』の教えによるものだった。
西郷隆盛のことばを書き残した『南洲翁遺訓』には、中国古典からの引用が随所に見受けられる。三島由紀夫の座右の書としても知られる『葉隠』は「鍋島論語」とも呼ばれているが、そのベースにあるのは中国古典の教えだ。
戦後日本の偉大な経営者、本田宗一郎、松下幸之助も歴史から学んで、その知識を経営に活かしておられた。
中国古典をひもとけば、人と組織のマネジメントのあるべき姿がみえてくる。これほどビジネスの世界に生きる人間にとって有難いことはない。
中国古典の解説本は数かぎりなく刊行されているが、経営の参考になるものとなると、意外に少ない。
本書では、「人と組織のマネジメント」に絞り込んで、中国古典の教えをわかりやすく解説することを心掛けた。
筆者は、今後とも経営の世界をフィールドワークとしていきたいと考えています。
本書に目を通された方々が、どのような受け止め方をされたか。忌憚のないご意見をいただければと望む次第です。
2021年晩夏 コロナ禍で逼塞中の東京都町田市より
疋田 文明