経営の現場は『知恵の宝庫』
疋田文明が注目する元気印企業を事例に 勝ち残る企業像、あるべき経営者像を 経営者のみなさまと共に探求します。 |
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世はまさに自粛ムード一色。たしかに、被災された方々のことを思うと、慎むべきは慎まないといけない。しかしいつまでも自粛では、復興がならないのも事実だ。では、どうすればいいのか。筆者が参考になると思うのは、明治維新のときに、大蔵官僚から実業界に転じ、のちに日本資本主義の父と称されるようになった、渋沢栄一の次の考えだ。
「孔子は、広く民に施して大衆を救う者ならば、これは仁以上の仁で、聖人と称すべきだといっている。広く民に施そうとすれば財産がなければならず、大衆を救おうとすればこれまた資本が必要だ。何事をするにも先立つものはやはり金銭である。いかに民に施し大衆を救おうとしても、富がなければその希望を達しえない。ない袖は振れない。今日の文明政治を行なうには、ますます富の必要があるのである」
では、富はどのようにして創造されるのか。アメリカの経営学者、ミュラータイムは、次のように指摘する。
「歴史的に見て、『富造り』の源泉は二つしかない。第一の源泉は自然――つまり、農業・耕作といったもの。一粒の種子を地にまけば、やがて百倍に増殖する。これは絶対量の増加(富の創造)である。第二の源泉は、『発明』である(あるいはサミュエルソンのいう『技術の進歩』)」
発明なり、技術の進歩を活用して富を創造するのは、いうまでもなく、経済活動ということになる。ところが、震災後は、経済活動が、悪のように見られているが、本当にそれでいいのだろうか。
これから、日本が復興するためには、数十兆ともいわれる資金が必要となってくる。この資金を生み出すのは、活発な経済活動に他ならないことを、みんなで理解しないといけないと思う。
渋沢栄一は、富の創造に長けた人だったが、創造した富の活用の仕方も見事だった。恵まれない子供たちのために養育院を建てて援助し、さらには複数の学校の設立に際して資金を寄付し、ほかにもいくつかの慈善機関を設立している。渋沢栄一の座右の書は、論語だったが、論語だけでは、大衆を救うことは叶わなかったに違いない。
繰り返しになるが、甚大な被害を負った日本を復興させる原動力になるのは、経済活動にほかならないのだ。悲惨な状況を直視しなければならないが、経済人よ、萎縮しないでいただきたい。いまこそ、第二、第三の渋沢栄一の登場が待たれているのだ。
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